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これからの場のデザインについての会話

Facebook上で井庭くん(@takashiiba)に問いかけたら、面白い議論ができたのでここに残しておく:

長谷川 敦士たしかこの間 Takashi Ibaくんがつぶやいていた、クックパッドのユーザー参加アーキテクチャのWikipedia型との違いがずっと気になっている。

Takashi Iba どう思う?

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CHIのinteractionsがおもしろい

SIGCHIの雑誌「interactions」が前の2009年1/2月号から編集方針が変わったらしい。

http://interactions.acm.org/

AdaptivePathやJump Associatesの記事やら、ノーマンの記事やら、新しいメソッドや理論の枠組みなどが載っていて読んでいて面白い。

blogで見たことがあるような記事もあるが、このクオリティでまとめられていると、雑誌として読み応えがある。

たとえて言うならHarvard Business Review(英語版)?

そういえば、今号のHBRは、Semantic Webの話なんかも載っていたな。

いつのまにか、学会誌も面白くなっていた。

対価性の放棄と得られるもの

書物について(内田樹の研究室)
http://blog.tatsuru.com/2009/04/05_0820.php

なぜ私たちが「膨大な量の読書」を望むかといえば、それだけが高いリテラシーを涵養する唯一の方法だからである。
そして高いリテラシーを涵養することを願うのはそれによって読書から無限の快楽を引き出すことが可能になるからである。
だとすれば、無償で読めるテクストが量的に増大することは、リテラシーの高い読者を生み出すことに資することはあっても、それを妨げることになるはずはない。

著作権と書かれたモノの対価を巡る議論。

音楽業界はMy Spaceなどのインディペンデントな方向性と、おまけの着メロのような客寄せノベルティな方向性の二極化が激しい。

blogが書いて発表する敷居を下げたように、音楽もMTRが安くなったと思ったらハードディスクレコーディングが簡単にできるようになって、15年前に数百万かかっていた機材が一台のノートPCに数万円のUSBインターフェイスをつければ可能になった。そこに、My Spaceという流通の場もできた。好きな人が「その気になれば」いくらでもで発表もできるし、お金をかけないで入手もできる。

と、状況を比べながら考えていたが、やはり世の中「その気になる」人が少ないのだろうか。

第三回情報デザインフォーラム(あるいはソーシャルネットワークの科学へのアプローチ)

第三回 情報デザインフォーラム インタラクションデザインの未来に参加してきました。

今回は、masuiさんの講演と、それを受けたパネルディスカッション。

講演のほうは、増井さんの現在の関心事である(?)「どんどんどこでもWebサービス」の一端を紹介。デバイス系も含め、こういった「ちょっと作ってみる」ことが可能になってきているのがいまのいちばんの特徴であると思う。

それをソリューションとして提供するには、「問題に合わせる」ことが必要になってくるが、やはりいまはどんどんあたらしい手段が生まれている時代であり、問題解決側がその手段を把握していないことにはお話にならない。

いわゆるウェブの技術は一段落している気がするが、これからは増井さんも言及していたソーシャルネットワークの力学(ダイナミクス)について、より深い理解が必要となる。

ソーシャルネットワークの科学では、いわゆるネットワークサイエンス的なアプローチで、その経路数や、ハブの密度がキーポイントになる。

しかしながら、実際の世の中のネットワーク(ソーシャルネットワーク)では、個々人の結びつきとハブの強度がそんなに単純でなく、学習し進化するモデルを用いる必要がある。

ここで個々人の関係性を結びつけるため、僕の博士論文ではこれを「信頼」という結びつき因子を導入することでモデル化した。その際の信頼には、ニコラス=ルーマンが「信頼」という本の中で定義した3段階の信頼の定義を用いた。

すなわち、

ルーマンの信頼 – suneoHairWax

(略)まず,ルーマン信頼概念を整理しておこう.’73年の『信頼』では,信頼の様式は三層構造として概念化される.[1]意味と世界を構成する〈馴れ親しみ〉Vertrautheitという様式,[2]人格Personlichkeitとしての他者が,自由な行為能力を発揮するであろうという一般化された期待であるところの〈人格信頼〉Personliches Vertrauen,[3]他者との世界観の違いという亀裂に抗して,あるシステムが作動していることに信頼を寄せる〈システム信頼〉Systemvertrauen.それぞれを詳しく見よう.(略)

と定義できる三段階を用いた。簡単に言うと、

  1. 直接体験した結果としての信頼
  2. 人格への信頼
  3. システムへの信頼

という3段階の信頼を信頼の深化として採用し、それを用いたコミュニケーションモデルを構築した。

いまのところ、ソーシャルネットワークモデルでこの概念を用いているものが見あたらないようなので、試してみたいと思った。

実はこれは個々人の関係性だけでなく、企業間の関係性についても言える(shinzoさんがいうところの「企業活動=trust network」という意味でのtrust)。

とすると、実はこのアプローチは、行動経済学の理論にも使えるのではなかろうか。

まだ夢想段階だが。

話を戻して、フォーラムでは、パネルディスカッション後のポスターセッションでは、Site-it!を展示。

また、そこでは、アドビの山崎氏、首都大学東京の(って変な名前だな)安藤博士らと、「なぜ日本ではメディアアートに人が流れていってしまい、(工学的な意味での)インタラクションデザイン教育がなされていないか」について、延々議論。

結論はまだ出ていないが、やはり話をしながら、議論の立ち位置によって、いろいろ解釈が異なることは合意できた。

用語の統一は重要だ。


ライト、ついてますか―問題発見の人間学

IA Summit 09

今年も毎年恒例のIA Summitに参加のために、3月18日〜24日まで日本を離れます。

とりたててすごいトピックはなくても地味にトレンドの変化を感じることができる貴重なイベントです。

ちなみに、場所はテネシー州メンフィスで、プレスリーにはあまり興味がないので、旅行気分というより、子供としばらくあえない残念感のほうが強いかも。

メンフィスのおすすめ情報をお持ちの方教えてください。

IA Summit 09 | 情報アーキテクチャアソシエーションジャパン – IAAJ

IA Summit 09

右派と左派

池田信夫氏の主宰するアゴラbetaで長年の疑問が腑に落ちた。

「論壇」の終焉 – 池田信夫

このように日本には、いまだに冷戦のころの図式が残っていて、政治・経済についての立場を次のように「バンドル」する傾向が強い。

政治   経済    社会    歴史
右派 改憲 小さな政府 法と秩序  国家主義
左派 護憲 大きな政府 表現の自由 平和主義

元々右翼左翼とはフランス議会で右側に保守派(国粋派)が陣取っていたから、に端を発するはずだが、当然ながらコンテキストが全然異なる今の日本において、だからといって上記のようなバンドルが有効かどうかは自明ではまったくない。

そして、こういうバンドルの無意味さは、おそらく自民党でももうそろそろ多数派に鳴ろうとしていると思うが(信じたい)が、おそらくそうはいかないのだろう。

このあたりの形骸化は、日本で自民党でも民主党でも、その党の方針ではなく(そもそも方針なんて実際はないわけだから)、その実装としての施策で判断をするしかなくなっている現状として現れてきている。

老害は時間と共に朽ちるのを待つしかないとして、日本という均質化した社会で(そうでもないのかな?)今後「政党」というものは意味を持つのだろうか?

Re: 「タメグチ」的ガバナンスの歴史

磯崎さんによる、ヨーロッパ的なガバナンスのしくみが「なぜ」生まれていったかについての、情報処理コスト力学の観点から分析。

isologue by 磯崎哲也事務所: 「タメグチ」的ガバナンスの歴史

磯崎さんはそうは言っていませんが、情報処理コストの概念をいれている時点で、力学系として解釈した考え方だと思った。

もう一つは、共産主義の崩壊と同様、こういう集中的な意思決定方法は、社会が急激に変化したり、社会の複雑さが増加すると、(今度は、X乗のオーダーではなくて、それよりさらに急速な組み合わせオーダーの勢いで)意思決定に必要な情報処理量が増加して、破綻するということです。

特にこのあたりは、系の頑強さ(rubustness)としても定式化できるのではなかろうか。

塩野さんと話して感じた、ローマ人社会の帝政への疑問はだいぶ解消された。

Re: iPhoneとG1、Palm preにG2とか徒然

nobsato氏による、G1/G2/iPhone/Palm pre比べ。

ちょうどPalm preが話題になったところでした。
それにしてもPalm preは評判よい。

うちの奥さんは最後までCLIEで粘っていたのだが、preはあんまし好きではなさそう。

noblog: iPhoneとG1、Palm preにG2とか徒然

久々にiPhoneをいろいろ触っていて改めて感じたんですが、たしかにUIは洗練されてる感があって、使いやすい印象もあるんですが、実際に使っていると、と、とにかく使いづらいw

これを称してUIの使い勝手がどーたら、こーたら、言っている人たちの感覚が正直よくわからんw

結局のところ、スムーズにインタラクションが動くのが「使いやすさ」をかもし出しているだけのように感じました。

まあ、iPhoneがあれなのはたいていのiPhoneユーザーは自覚していて、この「使いやすい感じ」を体験するのが楽しい、ってことなのではないかと思いました。

Mac OSにしても同じような「感じ」がファンを増やしいるのだと思う。
逆にNokiaは機能はリッチなんだけど、その演出とかつなぎ部分がいまいちだった。

iPhoneもそれぞれのアプリ向けにもちっとデザインガイドラインを作ってよいと思うのだが、草の根開発を促進して裾野を広げるためにそこを緩くしているのだろうか。

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