ユビキタスコンピューティングの意味
気がつけば最後の書き込みから2ヶ月も空いてしまった。
やはりblogはためちゃうとだめね。
で、重い腰をあげたのはここ数ヶ月でKindleを使った感触が思いのほかよかったことを書き記そうと思い立ったからとなる。
気がつけば最後の書き込みから2ヶ月も空いてしまった。
やはりblogはためちゃうとだめね。
で、重い腰をあげたのはここ数ヶ月でKindleを使った感触が思いのほかよかったことを書き記そうと思い立ったからとなる。
「Webデザイン」というのは画面だけのデザインではなく、どちらかといえば長期にわたってじっくり使われるプロダクトデザインの領域に入る。
プロダクトデザインといっても狭義では外形の造形をさすだけのこともあるが、もちろん広義では「いかに人の生活に役立つか」という観点でのトータルなデザインをさす。
去る5/30に開催された、松岡正剛氏による、連塾 JAPAN DEEP 3に参加。
RSWが生みの親である西のTEDと、RSWを日本に紹介した人でもある松岡正剛氏の東の連塾をまとめて受けると、情報量もさることながら好対照ぶりに思うことも多い1週間だった。
ちなみにそれといっしょに、高松で講演したり、札幌でイベントを主催したり、進行中のプロジェクトしたりもあったから、わりと体もしんどい。
さて、今回の連塾だが、松岡さんが萩尾望都氏、松本健一氏、横尾忠則氏がそれぞれ2時間づつの対談をする、という、考えただけで濃いイベントだが、実際内容はかなり濃かった。
それぞれ立ち位置も違う人との対談なので、もう会話の位相が全然ちがっていて、聞いているこちらの頭のモードも90度づつ切り替えながら聞く感じだったので、むしろあんまり頭が馴化されなく、疲れた感じはなかった(少なくともその場では)。
萩尾望都氏、横尾氏の話は、それぞれの作品の裏側と遍歴、おもいのたけを存分に楽しめた。ここまで語らせてしまう松岡さんはやはりすごい、と思わせる。
で、ただ、個人的に頭を揺さぶられたのは松本健一氏との対談。
正直氏の著作は読んだことはなくて、著作の評論とかを読んで(若干偏った)印象を持っていたのだが、すべて払拭され、今年一番の開眼させられたイベントとなった。
話は、松本氏のライフワークとも言える(?)、北一輝研究を題材にしながら、開国から明治〜大正〜昭和の天皇制に対しての当時の人々のピュアな感覚と、「天皇現人神」というシステム(機関)とを導入するに至った思惑とを解体する議論となった。
と書くと、単純化しすぎだが、この話こそまさに、これだけの時間をかけてストーリーを共有しないと得られない理解、と言えるものだった。
おそらくこの回の連塾も書籍化されると思うので、ぜひ読んでもらいたい。
この対談から得た教訓は、知識人に対しての右翼とか左翼とかの安易なレッテルは、その人に対してのこちらがわの思考放棄なのだな、という自戒の念。
と、それはさておき、TEDにしても連塾にしても、個人的にはせっかくこの時代に生きているのに、なんでみんな興味を持たないのかが不思議。
去る、5/22に日本初のTEDxとなるTEDxTokyoに参加。
TEDxは米国などで開催されているカンファレンスTEDのローカル版。
TEDx基本的にはTEDとは独立した運営がなされるが、TEDのビデオ素材等は貸与されて、そういったオリジナル素材や独自のスピーカーを呼んで開催されるローカル版TEDといったものとなる。
ローカル版といいながら、会場から、設備から、スピーカーからすべて手がかかっている。
TEDxToktoの模様
http://www.flickr.com/photos/ahaseg/sets/72157618563304921/
特に誘い合ってでかけたわけでもないので、知った人はスピーカーの竹村さん、来場していたnobiさんこと林さん、徳力さん、くらい。
しかしながら、こういったカンファレンスに行くときは、知っている人と行ってしまうとついついそれらの人で固まってしまうので、単身乗り込んだ方がいろいろあって面白い。
具体的なカンファレンスは、まさにTEDな感じでひとり15分程度のショートプレゼンテーションで、各自が「広める価値のあるアイデア(ideas worth spreding)」をプレゼンテーションする。
面白かったのは、以下のあたり:
カンファレンスがすべて英語だったり、全スピーカーのうち日本人が4人だけだったりと、日本で開催されているのに海外カンファレンス的で、帰りに電車に乗ったら成田から帰ってくるような気分だった。
また、英語で話すから口調もポジティブになるから、これが日本語ベースになったときおなじようなテンション、雰囲気が保てるのかどうかは今後の課題。
同じテンションや雰囲気が必要かどうかは議論が必要。
iTSCOMというケーブルテレビを使っている(視聴している)のだが、セットトップボックス(STB)つまり受信機をレンタル、という形態で使っている。
まあ、ケーブルテレビを解約したら使えなくなるから、そういうオプションがあると思うのだが、そのSTBはいまやHDD内蔵、DVDレコーダー内蔵、そしてデュアルチューナー内蔵、とちょっとしたものになっている(もちろん地デジチューナー内蔵)。
iTSCOM.net |セットトップボックス
http://www.itscom.net/cabletv/big/stb.html
我が家にはいわゆるテレビがなく、プロジェクターに映し出すしかできないため、チューナー機能が必要でCATVに加入し、STBをレンタルしてるという事情もあるのだが、にしても、メディア書き出し機能はさておき、この録画機能というものは、一度買ってしまうとけっこうなスピードで容量が増えていくため、このレンタルで常に最新の容量のものにチェンジ、ってのは実は結構最適解な気がしている。
もちろん、自分でHDDを換装したり、手作り系のものでやるっていうのもありなのだが、正直いちいちそのトレンドを追っているのも大変だったり、ものすごくおまじない的な手順をふまないと機能が使えなかったりしがちなので、一般的におすすめはできない。
で、月々数千円のこのSTB費用は、考え方では分割して支払っているということも言える。
と考えると約1年前に250GB HDD付きのHDDを借りているので、2、3万円くらいそれに支払っていることになる。
今度500GB HDD+DVDレコーダつきのやつも加わったのでそれにチェンジ、しようとしているのだが、それが月3000円くらいだっとしても、、まあ、2年くらい使ってもまだ安いともいえる。
と、絶対値としてもお得な気もするのだが、なにより、精神衛生上「買い時」に関してあまり気を遣わなくなると言うのが大きい。
そして、なにより大きいのが、すでに自分のなかの価値として(=家庭内財務上の項目として)このSTBはサービス費用としてしか認識されていない。まあ、会社の財務なんかだと別にリースにするのは普通にやられるが、個人財務のなかにこの感覚が入ってきているのがちょっとした発見だった。
ちなみにうちでは、AVアンプというものに、チューナーやらゲーム機(たち)やら、アナログプレイヤーやらがつないであり、そこから古いサンスイのアンプ(シゲからの借り物)を通じてスピーカーを駆動している。
こういったハブがあると、いろいろと便利なわけだが、そういったことを考えると早いところAV機器のIFはHDMIで統一され、シンプルかつ確実になっていただければと思ってやまないわけです。
(現時点ではHDMIはHD画像+デジタル音声を一度に扱える規格であるが、デジタルコピー制限でいろいろと制約がきびしいのです)
第三回 情報デザインフォーラム インタラクションデザインの未来に参加してきました。
今回は、masuiさんの講演と、それを受けたパネルディスカッション。
講演のほうは、増井さんの現在の関心事である(?)「どんどんどこでもWebサービス」の一端を紹介。デバイス系も含め、こういった「ちょっと作ってみる」ことが可能になってきているのがいまのいちばんの特徴であると思う。
それをソリューションとして提供するには、「問題に合わせる」ことが必要になってくるが、やはりいまはどんどんあたらしい手段が生まれている時代であり、問題解決側がその手段を把握していないことにはお話にならない。
いわゆるウェブの技術は一段落している気がするが、これからは増井さんも言及していたソーシャルネットワークの力学(ダイナミクス)について、より深い理解が必要となる。
ソーシャルネットワークの科学では、いわゆるネットワークサイエンス的なアプローチで、その経路数や、ハブの密度がキーポイントになる。
しかしながら、実際の世の中のネットワーク(ソーシャルネットワーク)では、個々人の結びつきとハブの強度がそんなに単純でなく、学習し進化するモデルを用いる必要がある。
ここで個々人の関係性を結びつけるため、僕の博士論文ではこれを「信頼」という結びつき因子を導入することでモデル化した。その際の信頼には、ニコラス=ルーマンが「信頼」という本の中で定義した3段階の信頼の定義を用いた。
すなわち、
ルーマンの信頼 – suneoHairWax
(略)まず,ルーマンの信頼概念を整理しておこう.’73年の『信頼』では,信頼の様式は三層構造として概念化される.[1]意味と世界を構成する〈馴れ親しみ〉Vertrautheitという様式,[2]人格Personlichkeitとしての他者が,自由な行為能力を発揮するであろうという一般化された期待であるところの〈人格信頼〉Personliches Vertrauen,[3]他者との世界観の違いという亀裂に抗して,あるシステムが作動していることに信頼を寄せる〈システム信頼〉Systemvertrauen.それぞれを詳しく見よう.(略)
と定義できる三段階を用いた。簡単に言うと、
という3段階の信頼を信頼の深化として採用し、それを用いたコミュニケーションモデルを構築した。
いまのところ、ソーシャルネットワークモデルでこの概念を用いているものが見あたらないようなので、試してみたいと思った。
実はこれは個々人の関係性だけでなく、企業間の関係性についても言える(shinzoさんがいうところの「企業活動=trust network」という意味でのtrust)。
とすると、実はこのアプローチは、行動経済学の理論にも使えるのではなかろうか。
まだ夢想段階だが。
話を戻して、フォーラムでは、パネルディスカッション後のポスターセッションでは、Site-it!を展示。
また、そこでは、アドビの山崎氏、首都大学東京の(って変な名前だな)安藤博士らと、「なぜ日本ではメディアアートに人が流れていってしまい、(工学的な意味での)インタラクションデザイン教育がなされていないか」について、延々議論。
結論はまだ出ていないが、やはり話をしながら、議論の立ち位置によって、いろいろ解釈が異なることは合意できた。
用語の統一は重要だ。
毎年春の恒例となったIAサミットが閉幕した。
今年は10回目という節目の開催ながら、不況の影響もあり参加者は昨年の600人超から400人弱へと減少、一回り小さくなった開催だった。
今年はネットイヤーの坂本くん、コンセントの河内さんと共に渡米となり、現地で西海岸に留学しているでソニーの佐藤大輔氏夫妻と合流した。
行われたセッションの内容は、より横断的な内容が増え、またIAの将来や今後のあり方を議論するようなセッションも多く開催されていた。
これまでより、パネル形式での議論が多くなり、また数人で議論を行うようなセッションもいくつか開かれていた。
通常の(概念的な)セッションとしては、メディアの変革に伴う利用者の変容、優れたユーザー体験の提供のためのポイント、段階的なサイトリニューアルのための戦略、といったようなテーマ。
また、ファセット分類検討のケースじれや、おなじみeightshapesによる、優れた納品物のためのテンプレートといったより実践的な内容も見られた。
そして、それと同時に見られたのが、IAはどのように進化すべきか、IAコミュニティの現状の課題の分析といった「IAはどうなるのか」というテーマだった。
そこでは、ちょうど先月IA Instituteも共催して開催されたIxDA(Interaction Design Association)との棲み分け、またそういった観点で話が分断されることによるIAコミュニティへの求心力の低下といったものが議論されていた。
それを象徴したのがadaptive pathを率いるJesse James Garrett氏のクロージングプレナリーだった。
そこでJJGは、もはや我々はインフォメーションアーキテクトを名乗るべきではない、我々はみなユーザーエクスペリエンスデザイナーなのだ、と宣言したのだった。
この宣言にその場は一瞬凍りつき、静まりかえった。
飛び交っていたtwitterのコメントにも動揺したコメントが多く見られた
http://search.twitter.com/search?q=%23ias09
JJGの演説では、我々が行っているのは、カスタマーの声を反映させた要件定義、それをクライアントと作り上げていくことであり、IAだのIxDだのと狭い範囲の(little IAの)議論を行うべきではない、という趣旨であった。
(スピーチの内容はIA Summit09のサイトよりポッドキャストで公開される予定)
そもそも米国で広まっているIAと名が付いている職種はInformation Architect(インフォメーションアーキテクト)と、Information Architecture(情報アーキテクチャ担当)との二通りある。
その内容としては、コンテンツ分類をしてワイヤーフレームを書く、というものから、プロジェクトの上流から人間中心設計的なプロセスを導入し、要件を定義していくといったコンサルタント的なものまで幅広い。
こういった背景から、より上流に関わる人材の呼称として、インフォメーションアーキテクトからUXデザイナーが適切だ、という指摘は理解できる。
そして実はJJGのこの主張は2002年に彼がia/reconというエッセイを書いたときからまるで変わっていない。
ia/recon
http://www.jjg.net/ia/recon/
日本語訳:IA再考
http://iainstitute.org/ja/translations/000305.html
このエッセイで彼は、組織の中で優れた情報空間(情報アーキテクチャ)を構築するために必要な作業は、コンテンツの分類やナビゲーションの設計といったいわゆる「情報アーキテクチャ」作業だけでは不足しており、その範疇外のプロジェクト自体へのコミットまで必要である矛盾を指摘している。
IA再考
(略)その結果が「小さなIA」と呼ばれる — コンテンツ構成と情報空間の構築に焦点があてられたものだ。しかしながらこの役割の定義を(領域として)実際の役割にあてはめられると、定義された「枠」によって、情報アーキテクチャの成功に本来不可欠な多くの要素が、任務の範疇外とされてしまうのではないか、という不安を生む結果となってしまう。(略)
ここでいう「情報アーキテクチャの成功に本来不可欠な多くの要素」を担当する役職としてUXデザイナーという名称が必要となるというストーリーとなる。
つまりこれまでは、
情報アーキテクチャ:問題解決のための要因
インフォメーションアーキテクト:わかりやすさの問題を解決するひと(情報アーキテクチャはその一要因)
という形容上の齟齬があった部分についての解決を、ここで言われていたインフォメーションアーキテクトという呼称をUXデザイナーとすることで解決する、ということとも言える。
このUXデザイナーが解決する問題としては、IxDも含まれる。
(本当はテクノロジーデザインや、グラフィックデザインも含まれるはずだが、その議論はまた別途とする)
同じような問題意識については、adaptive pathのChiaraのエントリが端的だ。
Why I am no longer calling myself an information architect. | adaptive path blog
http://www.adaptivepath.com/blog/2009/03/23/why-i-am-no-longer-calling-myself-an-information-architect/
このなかで彼女は、なにがIAに必要かを語るとき、IA以外のことを語っていた、と記している。
IA再考
そこでただひとつの解決策は、領域と役割の定義を互いから完全に切り離して考えることだ。これは一見反論理的に見えるけれども、実際うまく理にかなったやり方である。おまけに一方が他方に先んずることもない。ひとつの例として、オーケストラの指揮者は多岐に渡る創造性と管理能力を問われるが、「指揮をする」という役割ひとつをとって考えてみると、必ずしもそれは彼が抱える広義の任務を説明してはいない。
日本では、結局(幸いにも)インフォメーションアーキテクトという職種もあまり普及しておらず、またUXデザイナという名称もまだまだこれからといったところだろう(コンセントではUXアーキテクトという職種がある)。
日本では、品質担保とプロジェクトマネージメントの両方の責務を負った役職として「Webディレクター」がある。
現在、僕自身、そして日本のIAコミュニティでは、情報アーキテクチャを職能としてWebに関わるより多くの人に知ってもらうべきだと考え、活動を行っている。
JJGの今回の宣言は、日本における状況にも合ったものであると言えるだろう。
また、先日Peter Morvilleによってエントリされた、User Experience Deliverablesもこの構造を表している。
User Experience Deliverables
http://semanticstudios.com/publications/semantics/000228.php
日本語訳:ユーザーエクスペリエンスデザイン成果物リスト
http://blog.iaspectrum.net/UserExperienceDeliverables.html
JJGの1時間にわたる画面投影を伴わない演説は、今回のサミットで多く見られた危惧を一掃するものではなかったかもしれないが、セッションを統括するにはふさわしかったようにも思う。
そして、僕が肩書きを変えるかというと、やはり僕はインフォメーションアーキテクトのままでいたいと思う。
Information Architects
1.データに潜む隠れたパターンを整理し、複雑さを明快にする人
2.ユーザーが自分の知識を獲得するための道筋を見つけられるような、構造や地図を作る人
3.明快さ、理解、情報の整理に特化した、時代の要求によって生まれた21世紀の職業
Information Architects – Richard Saul Wurman
http://www.amazon.co.jp/dp/0823064557
バカ(シリーズ)の谷口氏の紹介でカヤックのやなさわ氏とお茶。
実はやなさわ氏とは同学年であったことが判明したりして、会社のことやらなにやらをとりとめなくお話しする。
で、そこで話に出たのが、カヤックとコンセントとのアプローチの違い。
コンセントのアプローチは、基本要求分析から入り、解決策としての設計プランを作るトップダウンアプローチ。これは、問題の構造化を常に行うため、全く新しいプロジェクトも受け入れやすい特徴もあるが、逆に毎回車輪を再発明するみたいなもんで、なんらかのオーバーヘッドが発生する。
また、スケジュールの中で上流工程から着手していくので、どうしても納品の最後にはスケジュールがいっぱいいっぱいになってしまう(たいてい理由は他にもあるが)。
それに対してカヤックは、もちろん個々のプロジェクトの全体像を描く部分はいっしょだが、個々のスタッフの知恵とか工夫とかそういったものを最適に配置することで効果を最大化させている。
ただ、そういったボトムアップの個々の施策は、何が生まれるのか、どう使えるのかわからないところから始めるから、そこをプロデューサーなりディレクターなりがうまく仕事につなげる必要が発生する。
といったこともあり、要求に応える(=問題を解決する)クライアントサービスよりも、自由度の高い自社サービスのほうでそれらの効果を最大限に活用しているそうだ。なるほど。
アプローチの違う同士なので、なにかいっしょに取り組むメリットがありそう。
Amazonから段ボールで作られた封筒入りで本が届いた。
1冊ならべつにこれでいいので、1冊でもでかい段ボールにラップされて届くことも多い(CD/DVDも)。
で、別に僕は本は読めればいいのだが、隣の美子氏から写真集とかであればきれいなものがほしいものだ、との指摘を受けた。まあ、もっともだ。
しかしながら、本屋でもし絶版本がぼろぼろで売られていたらためらいながら買うであろう。
で、思ったのは、きれいな状態でほしいか、多少汚れていてもいいか選ぶチェック。
書籍封筒とかでいいから50円引きとか(その際クレームは無効)。
まあ、いろいろ問題もありそうだが、Amazon段ボールは処理にも困るのでねえ。
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