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言語獲得過程と無の概念

あけましておめでとうございます。

さて、昨年は二人目の子供(女児)が生まれ、家族4人でわいわいやっています。
長女は、大晦日に3才の誕生日を迎え、いっちょうまえに会話が成立するようになってきました。

そういった中で興味深いのが、言葉の誤用です。
たいていの誤用は面倒でも言い直してあげることで驚くほど精度が上がっていくのですが、なかなか説明が難しいのが「無」の概念伝達です。

具体的には、「なんでもない」を「誰もない」とよく間違えます(本人はまだ間違えたことに気付いていない)。
「どうしたの?」
「誰もいない」
という会話が日に数回は交わされます。

まだ、抽象概念はわかってるのかわかっていないのかという状態なのですが、
「そういう時は、『なんでもない』って言うんだよ。」って言っていますが、本人的にはぴんと来ていない様子。
ニコニコしながら「誰もいな〜い」って応えます。

ちょっと近い概念で、「謝る」概念もわかっているのどうか不安です。
失敗をしたときに「ごめんごめーん」というクセはついたのですが、けっこう楽しそうにごめんをいっているので果たして「申し訳ない」という概念を持っているのかどうか。

と、そこで思うのは果たして「申し訳ない」という概念とはなんなのか。
自分のやったことを反省して、自責の念を持てばよいのか?そうだっけ?

ちなみに、デジタル機器周りでは、iPadやiPhoneは文字入力以外は難なく使いこなし、最近ではMacでのKidPixも使えるようになりました(マウス操作)。
まだ文字が読めないのでWiiは難しいのですが(Wiiではコントローラーのストラップを腕に通しなさい、というインストラクションのところは理解しているらしく、その表示が出る度に得意げに「ここに通すのよ」って周りの人に教えてあげています)、普通のコントローラー、Wii Fitコントローラーといった無線のコントローラーで接続するあたりは当然のように理解しています(むしろ有線のコントローラーも外そうとしたりします)。

また、完全に映像コンテンツはオンデマンドなものだと思っているようで、テレビを見ているときにトイレやお風呂に立つタイミングで「ちょっと止めておいて」とさも当然のように言っています。
まあ、ライブ放送以外、リアルタイムストリーミングであることのほうが理解が難しいんだろうな。

そんな感じですが、今年もよろしくお願いします。

子供のためのタイポグラフィ

気がつくと2011年も半分終わり、そしてblogの書き込みも今年二回目という状況。

この春は会社の合併、年度末にかかるプロジェクトとblogに考えをまとめるゆとりを持てなかった(ネタ帳にはいろいろたまったのだが)。

さて、気軽な話題で子供のためのタイポグラフィ。こんなポストを最近見た。

Effective Use of Typography in Applications for Children
http://www.uxmatters.com/mt/archives/2011/06/effective-use-of-typography-in-applications-for-children-3.php

3歳から10歳の子供に向けたタイポグラフィの考察。

セリフ/サンセリフの可読性、子供の許容性(tolerance)の観点、スタイル、読みやすさ、一貫性、レイアウトなどについて考察を行っている。

最終的はこのコラムでは、タイポグラフィの問題はグラフィックの問題としてとらえられ、どういった体験(UX)を構築するか、という課題としてまとめている。

昨年から、コンセント社としてもグループ会社(AZホールディングス)としてデジタル教科書教材協議会(DiTT)理事として活動を行い、教科書/教材におけるデザインの実態を知ることができた。

現在のところ、(教科書に限った話ではないが)このドメインにおける「伝わる」ためのデザインエンジニアリングはまだ課題化すらされていない。

たぶん、やられていないってことはないと思うので、どなたかそういった分野をご存じの方いたら教えてください。

ところで、関係ないかもしれないが、最近感動している絵本(絵本はタイポグラフィとグラフィックが高度に融合された、すごいアートだと最近感じている)が、せなけいこさんの一連の作品。

せなけいこ
http://ja.wikipedia.org/wiki/せなけいこ

彼女の作品のすごいのは、その文章部分の洗練のされ方。
(ストーリーもかなりシュールなのだが)

子供にベッドで読み聞かせるとき、通常同じ絵本を何度も読んで、とせがまれる。

通常は何度も読んでいると表現の冗長さや、言い回しの無駄(いっしょか)に気付くのだが、彼女の絵本は何度も読めば読むほど、その短いセンテンスごとに必要にして十分なメッセージが込められていることがわかる。


きれいなはこ (あーんあんの絵本 4)

ほんのちょっとだけ怖い話なので子供も興味を持つし、親も何度も読むと文章を噛みしめられるという一石二鳥のシリーズなのでおすすめです。

ネットワークメディア論

思うところあり、昨年から武蔵美視デにて講義を開始した。

で、今年(来年度)から、多摩美情デにても講義を持つこととなった。

これまで講義では、情報デザインやインターフェイスデザインのプロセスや方法論を教えていたが、今回はネットワークメディア論という若干これまでと異なったテーマ。

せっかくなので、これまでのメディアを概観できるような授業にしたいと思っている。

シラバスに掲載した授業予定は以下。

ご意見、ご要望があったら教えてください。

– 1.  ガイダンスと授業ロードマップ
– 2.  Webサイト:メディア的特徴
– 3.  ニコニコ動画と2ch:参加型メディアにおける編集の意義
– 4.  WikiとWikipedia:コラボレーション
– 5.  情報整理の限界
– 6.  blog:個人ジャーナリズム、あるいは落書き、そしてセラピー
– 7.  YouTube:メディアとインセンティブ
– 8.  ソーシャルメディア:はたしてメディアなのか
– 9.  インターネット生態系:生態系としての考え方
– 10.  twitter:制約を求めるマインド
– 11.  ネトゲ:新しいコミュニケーション
– 12.  「クラウド」とはなにか:ユビキタスの本当の意味
– 13.  電子書籍の登場:新しいものなのか
– 14.  Creative Commonsという考え方
– 15.  あらためて「従来のメディア」とは何であったかを考える

unconference

ひさびさの書き込み。

10月29日、30日に開催された、東京大学・知の構造化センター主催の「PingPongプロジェクトシンポジウム」に参加してきた。

知の構造化センター・シンポジウム開催
http://blog.pingpong.ne.jp/?p=370

このシンポジウムでは「動く地図を作る」という刺激的なタイトルで、初日がPOD1からPOD3と題されたテーマ講演、二日目がunconferenceの形式で実施された。

POD1では、知の構造の理解=形の理解、ではなく、地図の作り方自体の理解である、というikeg先生の基調講演に始まり、情報の視覚化、ユーザー体験デザイン、インターフェイス、テクノロジーを活用した社会、といった分野に対して新しい視点を与えるきっかけが数多く得られた。

また、サイエンスとしても、ikeg先生の複雑系の理解を発展させた、社会システム理解のあたらしいかたちを考えるきっかけになると思う。

さて本題は、unconference。

先日のNew Context Conferenceでもunconferenceは開催されていたが、残念ながら初日のパネルディスカッションしか参加できなかったので初参加となった。

Unconference – Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Unconference

UnconferenceとはTim O’Rellyが、既存のカンファレンスでのセミナーやワークショップが予定調和的になっていることへのアンチテーゼとして生み出したセッション運営の形式。

特徴として、セッションの枠だけ決めておいて、当日に内容を決める、ということがある。

すべてのセッションの前に、ホワイトボードに枠だけ書いて(今回のPingPongでは1セッション30分で、3トラック × 4セッション)、せーのっでセッションを組みたい人が書き込んでいく。

当日決める、といってもセッションオーガナイザーには、資料を準備したり、形式を決めたりという普通のセッションと変わらないような準備が求められる(30分くらいで)。

といっても、初日の講演を受けて、とか、この場に集まっている人とこの話題で話したい、といったような、テーマでOKで、要するにこれまではカンファレンス会場の隣のロビーとかメインのセッションを抜け出してやっていたような議論を表舞台にしてしまう、というしかけ。準備といっても問題意識を箇条書きにしたり、といったものとなる。

@etoさんやら@kensuzukiやらによって瞬く間に枠は埋まっていき、慌てて僕も一枠確保。

テーマは、前日のPingPongプロジェクトの原宿でのTweetを視覚化した地図をネタにした、「知の構造化の視覚化がメンタルモデルをどう変えるか」。

具体的には、PingPongスタッフの 地図UIをデモしてもらい、「そのマップを見ることで利用者の行動はどのように変化させられるのか」について議論を行う、という会を計画した。

おもしろかったのは、3パラレルトラックのうちトラック2だけがustされるのだが(ちなみにustはヒマナイヌさんによる超ハイクオリティustreamでした)、トラック2から埋まっていったこと。

それは単に目立ちたいからというわけではなく(たぶん)、ustされる価値がありそう、という観点のセッションから声があがったということで、その観点もunconferenceっぽい(気がした)。

セッションの模様は以下のustアーカイブと、ホワイトボードのキャプチャ参照:

参加者が自己組織的にプログラムを作る分科会形式:アンカンファレンス – himag
http://www.himanainu.jp/himag/?p=3523

(全体をustしているので、1時間23分くらいから僕のセッションが始まります)

セッション2dの議論の結果(ホワイトボード)
http://plixi.com/p/54044112

僕のセッションでは、PingPongディレクターメンバーの岡さん、Leeさんをはじめとして、ikegさん、@etoさん@kensuzukiくん、など豪華な顔ぶれが勢揃いし、かなり充実した議論を楽しむことができた。

上がったトピックとしては、「視覚化における編集」、「システムを利用してもらう、あるいは利用し続けてもらうためのしかけ」、そのための「愛すべきシステム」、「目的を持ったシステム、持たないシステム」、「見せないことの重要性」、「ブラタモリ」、「行動の動機付け」といったような観点。これらの観点について、各参加者の意見が交換された。

この臨場感は、unconferenceのホットなトピックを扱える特性によると思う。

HCD-Netの次回フォーラムあたりで、この方式での議論を実施してみたいと思う。

UX+Pattern Weekends

忘れないうちに骨格だけでも:

6/8 講演準備の議論としてtaiga氏とパターンについて話す。「新しい物語」という言葉遣いについてtaiga氏が敏感に指摘。

6/11 東工大 Creative Flowにて「IA、未来のパターンランゲージ」を講演、中埜さんにゲストに来ていただく。パターンとはなにか、について初めて人前で話し、自分の理解具合を把握。問題意識は、「【物語】をいかにIAに盛り込むか」

6/12 HCD-Netフォーラムにて産総研北島氏の実時間制約下のMHP、認知的クロノエスノグラフィの技法から調査→モデル化→設計→評価における既存アプローチの限界と、UXにおけるシミュレーション技法の着想(フェーズ2)。

6/12 同じくHCD-Netフォーラムにて石黒さん、takram畑中さんの公開ブレストから、ブレストと情報の体系化とのせめぎ合いについて一つのモデルをみる。これは後日パターンランゲージにおける「パターン生成」と「ランゲージ化」の問題と同質であることがわかる。

6/18 AsianPLoP パターン祭りにて、ようやくパターンランゲージがなにかつかめてきた。中埜さん、伊庭くんの話も面白かったが、先週自分で話すためにまとめていたのが大きかった。ようやくちゃんとしたパターン生成のワークショップも体験したので、今度試してみます。eto氏になんかいろいろと思っていることをまくしたててしまった。すんません。あと、伊庭くんとすげーひさしぶりに(たぶんD論前にNYに行った以来だから、10年ぶりくらい?)に会った。中埜さんからは次回にHCD-Netサロンに来ていただく了解をゲット。

「Webデザイン」とはなにか

「Webデザイン」というのは画面だけのデザインではなく、どちらかといえば長期にわたってじっくり使われるプロダクトデザインの領域に入る。
プロダクトデザインといっても狭義では外形の造形をさすだけのこともあるが、もちろん広義では「いかに人の生活に役立つか」という観点でのトータルなデザインをさす。

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連塾 JAPAN DEEP 3

去る5/30に開催された、松岡正剛氏による、連塾 JAPAN DEEP 3に参加。

連塾3

RSWが生みの親である西のTEDと、RSWを日本に紹介した人でもある松岡正剛氏の東の連塾をまとめて受けると、情報量もさることながら好対照ぶりに思うことも多い1週間だった。

ちなみにそれといっしょに、高松で講演したり、札幌でイベントを主催したり、進行中のプロジェクトしたりもあったから、わりと体もしんどい。

さて、今回の連塾だが、松岡さんが萩尾望都氏、松本健一氏、横尾忠則氏がそれぞれ2時間づつの対談をする、という、考えただけで濃いイベントだが、実際内容はかなり濃かった。

それぞれ立ち位置も違う人との対談なので、もう会話の位相が全然ちがっていて、聞いているこちらの頭のモードも90度づつ切り替えながら聞く感じだったので、むしろあんまり頭が馴化されなく、疲れた感じはなかった(少なくともその場では)。

萩尾望都氏、横尾氏の話は、それぞれの作品の裏側と遍歴、おもいのたけを存分に楽しめた。ここまで語らせてしまう松岡さんはやはりすごい、と思わせる。

で、ただ、個人的に頭を揺さぶられたのは松本健一氏との対談。

正直氏の著作は読んだことはなくて、著作の評論とかを読んで(若干偏った)印象を持っていたのだが、すべて払拭され、今年一番の開眼させられたイベントとなった。

話は、松本氏のライフワークとも言える(?)、北一輝研究を題材にしながら、開国から明治〜大正〜昭和の天皇制に対しての当時の人々のピュアな感覚と、「天皇現人神」というシステム(機関)とを導入するに至った思惑とを解体する議論となった。

と書くと、単純化しすぎだが、この話こそまさに、これだけの時間をかけてストーリーを共有しないと得られない理解、と言えるものだった。

おそらくこの回の連塾も書籍化されると思うので、ぜひ読んでもらいたい。

この対談から得た教訓は、知識人に対しての右翼とか左翼とかの安易なレッテルは、その人に対してのこちらがわの思考放棄なのだな、という自戒の念。

と、それはさておき、TEDにしても連塾にしても、個人的にはせっかくこの時代に生きているのに、なんでみんな興味を持たないのかが不思議。

TEDxTokyo

去る、5/22に日本初のTEDxとなるTEDxTokyoに参加。

TEDxは米国などで開催されているカンファレンスTEDのローカル版。

TEDx基本的にはTEDとは独立した運営がなされるが、TEDのビデオ素材等は貸与されて、そういったオリジナル素材や独自のスピーカーを呼んで開催されるローカル版TEDといったものとなる。

ローカル版といいながら、会場から、設備から、スピーカーからすべて手がかかっている。

TEDxToktoの模様
http://www.flickr.com/photos/ahaseg/sets/72157618563304921/

特に誘い合ってでかけたわけでもないので、知った人はスピーカーの竹村さん、来場していたnobiさんこと林さん、徳力さん、くらい。

しかしながら、こういったカンファレンスに行くときは、知っている人と行ってしまうとついついそれらの人で固まってしまうので、単身乗り込んだ方がいろいろあって面白い。

具体的なカンファレンスは、まさにTEDな感じでひとり15分程度のショートプレゼンテーションで、各自が「広める価値のあるアイデア(ideas worth spreding)」をプレゼンテーションする。

面白かったのは、以下のあたり:

  • Marco Tempest氏のARマジック:ARを使ったカードマジック。ARでこんな応用もあるのか、と感心した。ちなみに、24日のMAKE Meetingでも講演があった模様。
  • Barry Schwartz氏の講演(オリジナルTEDのビデオ):仕事をする上での美徳とルールのはなし。インセンティブやルールはものを考えるのをやめさせてしまう。最終的なよりどころは倫理。
  • Gunter Pauli氏の講演:Ecover創始者の氏による、ビジネスとして成立するような現実的なエコ事業プラン。
  • Renée Byer氏による写真と朗読:ピューリッツァー賞受賞の氏の写真をスライドショーしながら、朗読。なにしろ写真がよい。
  • クライマーYuji Hirayama氏による体験談:「最小限のギアで最大規模の結果を残す」というタイトル通り、現代ロッククライミングの肝と、パートナーの大切さがよくわかった。

Marco Tempest
Marco Tempest氏のARマジック

カンファレンスがすべて英語だったり、全スピーカーのうち日本人が4人だけだったりと、日本で開催されているのに海外カンファレンス的で、帰りに電車に乗ったら成田から帰ってくるような気分だった。

また、英語で話すから口調もポジティブになるから、これが日本語ベースになったときおなじようなテンション、雰囲気が保てるのかどうかは今後の課題。

同じテンションや雰囲気が必要かどうかは議論が必要。